機能不全家族の中で育った私
長年、両親との関係がうまくいっていませんでした。私の育った家庭は「機能不全家族」でした。アル中の父、母もアルコールを飲まないとやっていけないので飲んでいました。
愛着不足でアダルトチルドレンの父(母もですが)はアルコールやたばこに溺れ、
暴れて不仲でケンカが絶えず、借金で離婚し、また復縁して・・・うまくいくわけがなくて
共依存関係となり、父の愚痴を聞いて、自由に風呂も入れないし、恐怖が絶えない家庭で
育ちました。
でも、両親はとてもまじめで優しい面もあり、複雑な気持ちでした。
父の自死
父はうつと認めませんでしたがうつ病でした。生きづらさがよくなることはなく、
自死してしまい、亡くなる前の最後の電話でケンカしたままだったので
非常につらい思いをしました。そのとき、主人が
「お父さんは生きている時も死んでいると同じような状態だったから
家族もつらかった。自分を責めないでいいよ。」と言ってくれて救われました。
心の中で想い、対話してきました。命日には好きだった向日葵を飾りました。
そうすると、心の中が落ち着きました。
心理や内面のことを学ぶうちに、父もつらかったのだ、できることをしてくれた
親から与えられたことしか与えられないのに、
与えてもらっていないのにたくさん愛してくれたこと
その反面、小さい私にとっては悲しくてひどい出来事も多くて
嘆きの仕事を自分にしました。
つらかったね、認めてもらえなくて。父との関係は、死後であっても改善できました。
母との関係
私は母との関係もうまくいっていませんでした。両親にされて嫌だったことは
子どもにできるだけしないように気を付けてきました。
ひどいことを言ってしまったら気が付いた時点ですぐ子どもに謝るようにしました。
「子育て」ではなく「親育て」だと思ってるのです。
私は自分の子どもと親よりよりよくなること。
がんばってきたのですが、私と母の関係を良くする必要があったのです。
私の母との関係が娘にも影響し、同じ課題は似たおなかの病気となり、
母性の課題=心の傷として間違った「考え方」「思い込み」「信念」が
世代間へと負の連鎖として引き継がれてしまっていました。
父の死後に母と会い、祖母のせいで人生がおかしくなったと言われ、
他人のせいにしている限り幸せになることは難しいなと思いながらとにかく
聞いていました。私は娘が私と主人を天国で神様と選んで生まれてきたと話してくれたので
子どもが親を選んで生まれてくると信じていると話しました。
また、母は「燃え尽き症候群」だがどうしてなるのかを聞いてきました。
家族間でのカウンセリングは禁じられているのでどういえばいいのか、
母が知りたい答えを知っているのに言えないもどかしさ。
聞いてあげるだけしかできませんでした。
そして、母に「いい子だった」と言われて「いい子でいるしかなかったやんか、相談なんてできる親じゃなかったやんか」と腹が立ちましたが、なにも言えませんでした。
母に会うとどっと疲れてしまい寝込んでしまいました。
嘆きの仕事
どうしても気持ちを抑えきれず、手紙を母に書きました。
母が私にしてくれたこと、感謝の気持ちも書きました。と同時に
両親の不和がつらかったこと。そして心が傷ついた家庭で育ったこと。
ひどいことをいわれたりされてきたこと。
母が悲しむし、傷つけると思いながらも自分の気持ちを吐き出すことが必要でした。
アルコール依存症だった母はなにも覚えていませんでした。
そんなことは言っていないと言われて余計に私は腹が立ってしまったのです。
その後何年か会わなくなって、母から電話をもらいました。
母は、病院でカウンセリングを受けていました。立派だと思います。
父の死後は、アルコールも飲んでいませんでした。
母の変化を感じました。父は、内面や心のことを理解することが怖くてしようとしませんでしたが、母は、心や内面を理解したい人だったのです。
「自分は無能である」と言う思い込み
そのあとに、私がクローン病になり、クローン病は「自分が無能である」という思い込みがあるためにかかるという考え方を知りました。
親の認められるために無理に頑張る とも書いてありました。
たしかに、荒れた不安定な家庭で、秘密があり、緊張した家庭でした。
勉強は好きでしたが、無理に頑張って自分は迷惑をかけないようにおとなしくしていたと思います。アダルトチルドレンのヒロインタイプです。
また、「父や母に助けてもらえない自分は無能だ」という思い込みを持っていたことに
気が付けました。一人で頑張らなければ認めてもらえないという思い込みがありました。
そのために、他人に助けを借りることがなかなかできませんでした。
結局 、無理をして頑張りすぎてクローン病になり、歩けなくなって寝たきりで
他人の助けを借りないと生きていけないことを味わう結果となりました。
この病気によって、「私は無能である」という間違った思い込みに気づけたのです。
この信念を持って過去世からきたために、「無能である自分」を経験するために
似た課題=心の傷を持った両親の下に生まれたのです。
気が付いて、間違った信念=考え方、生き方を改めるためです。
気が付けて本当に良かったです。
病気が教えてくれたこと
母との関係性もこの病気によって改善できました。
主人、義母、娘、との関係も改善できました。
私はずっと両親のマイナスな部分が強く出て陰転していました。
両親を恨んでいました、憎んでいました、そしてなにより愛していました。
走りが遅い私を自分たちと違っていても認めてほしかった
仲が悪い両親を救いたいと幼い頃から思っていました。
救えない自分を責めて罪悪感を抱いていたのです。
不仲の時、離婚した時、いつも事故を起こしていました。
幼い頃の自分と向き合い、
両親を救えなくて悲しかったね、救えなくても無能ではないんだよ、
親にも限界があって、いつも楽しくいることができなかったことは、
大人になった今、わかるね?
もう責めなくていいよ。つらかったね。
ほんとうはパパとママに救ってほしかったね。
離婚してどちらのことも大好きだからつらかったね。
家族で違っていても、お互いを認め合い、尊重し合いたかったね。
自分自身を慰めました。
今、自分の家族とは、違いを認め合い、共感できるところも多くて
縦の関係:共依存 支配するかされるか
ではなく、横の関係です。私が娘に注意されることも多いです。
親が偉いではなく、中立の関係です。
両親や祖父母よりも、家庭の人間関係が良くなっていることは
よりよくなりたいと願い、いろいろ学び、努力してきた結果です。
ネガティブな面ばかり見ていくのではなくて
自分の良いところも認めていこうと思ったのです。