「重女」ってなに?
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「重女の星」ゆっぴーです
おもじょとは、ゆっぴーがお客様とのカウンセリング中にひらめいた言葉です。
下着や体そして心の相談、オレンジハーモニーのセラピーを受けに来られる女性の共通すること。
それはゆっぴーにも共通することでした。
悩みが多い
真面目
頑張り屋さん
ぐるぐる思考で考えすぎ
~べき思考
知りたい 探求心
白黒思考
繊細
共感力が強い
優しい
純粋
傷つきやすい
情熱的
生きづらさが多い
かしこい
自分がわからない
自信がない
人に尽くす
よくなりたい
無理や我慢している
表面的ではないことが多い
意識が高い =高女
不調、病気、事故、人間関係のトラブルが多い
恋愛、夫婦関係がうまくいかない
親子の問題
「重女」とは
さまよい、求め、悩める頑張り屋さんで我慢強い女子のことです。
重い自分も認めて、ネガティブな自分を否定しない。
楽しく幸せにいきるために何があったのかを一緒に見直します
ゆっぴーは自分をそのままに受け入れることがやっとできたから、
そのうれしさ、喜びを同じ悩みの女子と分かち合いたい。
魅力や素晴らしいところも知ってほしい。
どれくらい重いのか、軽くなりたいのか、自分がどんな状態なのか知ってほしい~
と心から願います。
荒れた家庭環境
ゆっぴーは幼少から身体が弱く、入院、手術、保育園に行けない日も多く、3歳である臓器を切除しています。耳は何十年も悪く、両耳を鼓膜再生しています。怪我、事故、そして病気がいつもつきまとっている人生でした。両親との関係が深く関わっていることを発見しました。両親ともにアル中で、借金を抱え、離婚し、復縁しましたがケンカの絶えない地獄の家庭生活でした。父はうつ病で自死しました。母はヒステリーで、どちらかが酔うと暴れ
完全な機能不全家族で共依存でした。
両親は「傷ついたまま大人になった」アダルトチルドレンです。
でもいい所もいっぱいあった。「毒親」でもあった。親も被害者だった、そのまた親も。
両親が半分ずつで子どもができています。親の影響はとても大きい。
両親との深い結びつきを理解していくことは私らしさを知れたし、親の愛も、親の傷つきも
愛着の問題も、課題もぜーーんぶ理解できた。苦しかった。両親を愛していたから。
両親もゆっぴーを愛してくれていた。でもいろんな愛があった。
条件付きの愛しか親は知らなかった。
子どもが親を助けるために、大事なことを伝えるために生まれてきていることも。
負の親子間の連鎖を止めること。自分の代で気づくこと。
不妊も恋愛がうまくいかないもの親との関係だった。
医者になりたかった夢
保育園も休みがちで病弱だった私の最初の夢は「医者」になること。
良い医者になって、元気になりたいと思ったのです。
でも、病院ではよくならず、悪化する一方でした。薬も隠してたなー。子どもは賢い。
保育園の友達が小児がんで亡くなったことが衝撃となり、絶望を味わい、
医者になるという夢は早々に諦めました。でもね、「医者になる夢」は今、叶ってます
自分でも( ゚Д゚)驚いてます!
幼いゆっぴーはいろいろ幻滅してしまい、医者の夢をやめました。
絵を描くことが得意で大好きなので、次の夢は「漫画家」になり、でも病弱で漫研部が暗くて無理やなと感じ、そして高校生になると「ファッションデザイナー」になることが夢になりました。今思えば、苦難と病気は意味がありました、そして夢が全部叶っています。
暗く過酷な人生が続く
とはいえ過酷な人生が続きました。10歳で両親が離婚し転校、事故で頭がい骨骨折し、
死にかけ、幽体離脱しました。アダルトチルドレンに多い解離性障害は幽体離脱する傾向と言われています。霊感はないです。「心眼」が発達していると思います。
川を渡り、綺麗で心地よいあたたかい美しい天国?みたいなところへ行きかけました。
いまならわかります。転校も急で、つらくて死にたかったんだと思います。
でも、しらないおじいちゃんが出て来て、「まだまだここにはきてはいけない。もどれ」といって病院で血だらけで寝ているベッドの自分を上から見て、自分の体に戻りました。
天国に行けなくてがっかりしたことを覚えています。
今は、やっと光が見えて生きている意味があったし、生きててよかったと思っています。
いま思えば、このあと私はスーパー不器用なのに、服飾の道へ進むのですが、このおじいちゃんはひいおじいちゃんだったかなと思います。
ひいおじいちゃんは、両手使いの裁断師だったそうです。縁の深い人だと思います。
両親は復縁しましたが家庭内のトラブルが多く、両親はアル中で借金も抱えており、安心や安全がどこにもなく、人間関係もうまくいかないようになっていきました。
どこにも居場所がないどん底の10代でした。学校でも心を閉ざし、透明人間になりました。
いじめられることもないけど、友達を作ることもなく、自分にも人にも無関心を装いました。親にも相談できず、つらかった。「無関心」も自分の心を守る防衛だったんだと思うと本当にいとおしい。
そんなゆっぴーには、絵を描くことと音楽が私の心の支えでした。
両親が音楽が好きで、影響を受けました。
マイケルジャクソンとBUCKーTICKの櫻井敦司のおかげで自殺せずにいきることができました。フレディ・マーキュリー、多くのミュージシャンの音楽のおかげで生きのびることができました。
母は絵が好きで美術館や図書館へよく連れて行ってくれました。
漫画やアニメも私の心の支えとなりました。
病弱で体力がないので漫画家の道は諦めました。
染色の道も考えたけど手が荒れるからやめた。
不器用で服を縫うのは大の苦手でしたが、高校2年生の時、急に天から光が差した気がして、ファッションデザイナーになる!と言う夢が下りてきました。
両親は不器用な私に反対しましたが、私はどうしても行くと決意が固く、奨学金で服飾の
専門学校へ行きました。いまとなっては、オレンジハーモニーの商品の染色もしているし、夢はすべて叶っていました
専門学校で友人ができて、楽しいことも経験できました。
苦難の連続
初めて就職した職場では、メンズのウエディングデザイナーになりましたが、上司に毎日何もするな、立っとけといわれてパワハラを受け、デザインを盗まれて半年でやめました。社長に気に入られて入社しましたが、嫉妬の嵐でうまくいきませんでした。
アイロン担当のおじさんがやさしくしてくれたことは忘れられません。
いまならわかることですが、
すべて、大人になった職場も人間関係も、幼少期の家庭を再現しています。
恐怖と不安だらけだったからです。
2回目の就職では社長と一人だけのアパレルの会社で、採寸する時にセクハラされていたり、機嫌が悪いと当たってこられたり、やめたかったけど仕事はさせてもらえてうれしいし、後輩も入った1年半で倒産しました。
さすがにうまくいかないので、アパレルデザイナーは怖くなって、
ハローワークに相談に行くと、下着のデザイナーはどうですか?と聞かれて
ブラは嫌いで測ってもらったこともないし、母と同じテキトーな下着付けてたし
肩こりも頭痛もひどいしいややなーって思いながらまあ話だけでも聞いてみるかとなって
面接にいったら専務のおばさんに「サイズが合ってない―」って言われて、でも話盛り上がって、即入社。下着はデザイナーが染色するし、楽しいわ、企画任されるし、やりがいあって認めてもらえて、友人もできてほんまに楽しかった。
26歳でどうしてもフローリストになりたくて、親に反対されて家を出て、それまでバイトも禁止だったから3つバイトしながら花屋で働いたけどうまくいかず、農薬で手も荒れて、
痴漢やレイプ未遂にも合いました。のちに、すべて意味のあることだったと知ります。
親子の関係の影響、愛着の問題だったのです。
その後は、またデザイナーに戻ろうとしてもなかなかうまくいかず、嫌だったけど実家に戻っていろんなアルバイトをしながら就職の応募をしていたら大手下着メーカーが新しブランドのデザイナー募集していて、応募したら合格できてそこで主人と出会います。
それまで恋愛もうまくいかなくて、恋愛もしたことなかった私に、仕事も恋愛もやっと光りがみえてきました
母が気が狂い、家出
ゆっぴーの初めての恋愛で、母がおかしくなります。
毎日罵倒され、気が狂いました。父は見かねて母のために私を殴って鼓膜が破れました。
いたたまれず布団を自転車にのっけて身一つで家を飛び出しました。
共依存からの初めての脱出でした。親から心理的に自立できない私を
主人との出会いで救われました。感謝しています。
主人も親が離婚し、悩み、苦しみながら生きてきた共通点がありました。
その後、親と縁を切ることはできず、いろいろ両親との関係を抱えながら生きてきました。
父とは最後にケンカして電話を切ってその直後に自死して、長い間苦しみました。
主人の「お父さんは生きている時から死んでいたよ」という言葉ですこし楽になりました。
母が気が狂ったのも、夫婦仲が悪く、満たされないために私に嫉妬したからだと
カウンセリングを通じて理解できました。でも悲しかったしつらかった。
両親との関係と向き合うには時間がかかりました。
大人となってからも病はおさまらず、月経不順、便秘、頭痛、冷え性、副鼻腔炎、
特に中耳炎は慢性化し薬が効かなくて痛みや辛さは目に見えないので余計に苦しいものと
なっていきました。
人間関係もうまくいかず、ふたたび違う会社でもパワハラをうけ、うつ病にもなり、転職を繰り返し、地獄が続きました。
30歳ごろには痛み止めを飲みすぎて、副作用により顔に黒ずみができて病院で薬を飲むことを止められました。
病院と薬しか知らなかった私は、憤りと絶望しかありませんでした。
(今は、そのようなアドバイスくださった病院に感謝しています)
薬や病院以外の方法を知ってよりよくなることを求めだした時期です。
下着の会社を起業したことが大きな変化に
その後、結婚しましたが卵巣嚢腫、子宮内膜症を患っており、不妊治療をえて娘を授かる
ことができました。産後、仕事復帰を育児により急性リウマチを36歳で発症しています。
妊娠前に香港の漢方医のところに行きましたが、不妊であること、卵管が詰まりやすいことを脈と望診で見抜き、甲状腺も悪いと言われ、食べ物のアドバイスされてあなたに合った漢方を煎じますといって終了しました。甲状腺以外は合っていて驚きました。
帰国後すぐに甲状腺専門病院へ行きましたが、異常なしとなり、
1年半後にリウマチを発症しています。
病院以外の方法に気づきなさいという大切なメッセージであったと今では思っています。
結果、今では私はこの漢方医と同じように身体を診て体質のカウンセリングを行っています。東洋医学や心身医学を知った私は、心と体がつながっているという考えに感動しました。負の感情で臓器が傷つき病気になることにや葛藤で炎症が起こること、奥深い世界へ
いざなわれました。
25年以上「ランジェリーデザイナー」ですが、下着のデザイナーとなったことで、ひどかった肩こりも頭痛も軽減しました。主人と出会い、夫婦で下着の会社をしたい夢を持ちました。夢が叶うと思っていませんでしたが、よい出会いにより、応援してくれる方々と出会い、オレンジハーモニーという会社を作ることができました。
中国やインドネシアで事業しようとしましたが頓挫し、日本へ帰り、縫製工場を知人に紹介されて島根県で事業したことがきっかけで、布ナプキンやヨガ、食の大切さ、イヤーキャンドル、よもぎ蒸しなど、薬や病院以外の方法で身体をよくしていくことを知りました。
素晴らしい出会いとご縁により、からだに合った下着はよいセルフケアとなること、低体温からからだを守る商品の開発、気持ちいい無理しない癒しのヨガ、衣食住のことを知る大切さを伝える事業となっていきました。
事業をしていくなかで、お客様と同じように、ゆっぴーも病が改善していき、薬や病院へ行く機会が減りました。
人との出会い=人薬で心も体もよくなる
人が怖くて苦手だった接客も、心込めて寄り添うことで初対面でもお客様も心開いてくれることが多く、自閉症も改善できました。
最初、下着の試着は10分でサイズだけお伝えしていましたが、悩みの相談に乗ってほしい
との声が多く、今では40分試着の時間と低体温のお話をさせていただいています。
私と同じように生きづらさ、人間関係の不和、病気についてよりよくなりたいと求めてこられる方が多く、総合的に女性の健康とよりよく生きることを手助けすることに取り組むようになりました。自分でも驚いています。
数年前に知りましたがおそらく私は発達障害アスペルガー、ADHDの傾向があります。夫婦や子どもとの関係などにも支障をきたし、病院ではなく自分を深く知り、理解することによりよりよくなれました。発達障害は「特性」であり「個性」です。長所であることが多いですよ。発達障害の分析もカウンセリングで行うようになりました。
自分のなかに、自分が知りたい答えがありました。自分が、ひとりひとりが宝物でした。
知らないままいきるのはもったいないことです。
自身の経験から婦人病や不妊の軽減活動、女性不妊治療で授かった娘に、「小さい時になにになりたかったか?」と聞かれて1番の医者はなれなかったけど、3番目の夢は叶ったから、あなたも夢をたくさん持って叶えてねと話しました。
娘は、「お母ちゃんは、1番の夢も叶えてるよ、だってお仕事で薬を使わない医者をしてるもん」と、言ってくれたのです。私は、びっくりしました。でも、ああ、彼女の言う通りだなと感心したのです。
お客様からも薬を使わない医者ですね、と言われることが多いのです。そうなのかも、
と気づいたのです。自分のことを、卑下していました。
「素晴らしい存在やんか」と出会いで教えてくれたのです。
自分のことはわかっていないものです。
下着の事業も、この心、そして生きづらさ、不調、病、衣食住、ヨガセラピーなどへの取り組みは、しよう!と自分から行ったわけではないのです。
私にとっても必要でしたし、他の多くの女性にとっても必要で、さまざまな出会いやご縁を通じていまのように良い導きがたくさんあって、女性のための総合的な取り組みを行うようになったのです。
薬や病院を否定していません。でも私の病は治りませんでした。薬をドクターストップで20代後半に飲みすぎて副作用で止められ、困り果て、行きついた結果です。
ずいぶん心身は改善し、病院に行くことも減りました。
私が何十年も病気が多い人生でしたので、娘には娘はほとんど病院にいくことがありません。喜ばしいことです。両耳の鼓膜を再生していますので、医療のおかげです。とても感謝しています。
娘の胎内記憶のお話
2,3歳で覚えている子は離すことがあると胎内記憶の研究をしている産婦人科医の池川先生のことを知って、娘に聞いてみたら「もっと早く生まれたかったのに、なんで遅かったの?寂しかった、暗かったし。行列で待って大変やった」と話してくれました。
なので、まず、謝りました。「早く来てほしかったけど、仕事や病気があって遅くなって
ごめんね。どうやってきてくれたのかな?」と聞くと、生まれてくるのは大変で、並んで暗い所でずっと待って順番がやっときて、天使の羽根が生えて明るい楽しい神様がいるところへいける。神様はしぶいイケオらしく(豊悦みたいな)白人の金髪で髭があって、イエスみたいな白い服を着ているらしい。神様はとてもやさしくて、大きなフライパンで、天使のために毎回美味しいごはんを作ってくれた。神様と雲の上からお母さんを選ぶ。
お父さんはOKもらえた。お母さんも神様にこの人にしようってすすめられたけど
わたしはその人より絵がうまいお母ちゃん(ゆっぴー)がよかった。でも神様に決定権があるから無理だった。ゆっぴーは、苦労と病がセットの人だから、あなたも苦労するので、やめておきなさいとアドバイスされた。でもどうしてもゆっぴーが良かった。
だから神様が料理を作っている隙に、抜け出して生まれてきた。
ゆっぴーは驚いて切なく思いました。自分が絵が好きなこと、デザイナーであること、病気と苦難が多いことも娘に言ってません。神様はお見通しなんだね~と感心しちゃいました。
反対を押し切ってきてくれたので、運命には逆らえません。
実際、転校が多く、海外、国内、保育園3回、小学校3回転校しています。
本当に申し訳なかった。つらかった。違うお母さんにしてほしかった。
でも娘は「転校が多いからいろんなところに友達がいる。私が自分で決めたこと。」
とはっきりいいました。染色も一緒に染めて、オレンジハーモニーの看板娘として
楽しく家族で過ごして楽しいこともいっぱいありました。
娘に来てくれてありがとうと感謝しています。目に見えないことを教えてくれて。
子どもが親を育てるのですね。
前世のこと
その後も、前世のことも娘は覚えていて、ゆっぴーに話してくれました。
前世で、高校生の時に、主人に告白して振られて、悲しくて飛び出したら車に惹かれて事故で亡くなったこと。事故は自死の次に生まれ変わりが遅いみたいで、
もう次の生まれ変わりで主人が先に生まれていてあせってきたこと。
振られているから今回は恋人や夫婦は無理だから、子どもとしてなら長く一緒にいられるからと子どもとしてうまれてくると決めたそうです。
そんな縁があって!!( ゚Д゚)です~ せつなすぎて、変わってあげたかった。
もう、なんでこんな可愛いのに振ったの?って主人にキレたり( ´艸`)
主人はそんなん覚えてないしーーーって。そりゃそうだ。
まだ赤い糸のことも知らなはずなのに、ちゃんと、お父ちゃんとお母ちゃんの指に赤い糸を結んだよって話もしてくれました。感動しました。
不思議な縁があって、魂がつながって輪廻転生してかかわっていること。
親や恋人や夫婦、家族になってまた逢えるかもしれないこと。
素晴らしいこの話をお客さまにして涙されることも多いです。
娘がおじいちゃんがなぜいないのか聞いてきたので、自死のことをちゃんと話しました。
3,4歳でした。「おじいちゃんは生まれ変われないよ、なかなか」とはっきり言いました。
うん、自分で寿命を縮めたからね。その通り、生まれ変わりも遅いし、もう一回同じ人生やり直しやね。と話しました。
また、勇気があって反対を押し切って生まれてこようとお腹に来たのに、
生まれる直前に、生まれてくることをやめたとも話してくれました。
だから難産になったのかーと納得しました。お腹は広くて、気持ちよくて心地よくて楽しかったと喜んだそうです。
私も主人もおなかの中から話しかけ、本を読み、コミュニケーションしてきました。
楽しみにしていたのです♪
つわりもなく、順調で、臨月まで働いていました。
でも、破水が先に来て、陣痛が起こりませんでした。
陣痛促進剤で無理やり娘は引き出され、私も非常に危ない状況でしたが
娘は息をしておらず、そのまま集中治療室に行きました。
私は裂けた膣が痛くて、出血も多くてつらい出産となりました。
娘は無事3日後にICUを出ました。
友人が、大きく病院を薦めてくれて感謝しています。
あとから、娘は何が起きたのか話してくれました。
「生まれて来たかったけど、また、生まれたらいやなことが起きるかもしれないから
もう、お腹の中が楽しいからここで終わっていいやと思った」
えーーー不安とか恐れを胎内から認識してるの?
すごい・・・・これ後で、「バーストラウマ」ってわかったんですけど。
娘の貴重なありがたいお話は、ゆっぴーが心のことをする大きなきっかけを与えてくれました。強い心とともに、弱い心もあるということ。葛藤があること。
葛藤は不安と恐れと結びついていること。
結局、前世の課題をもって今世生まれてくるので、前世の課題を知ることがとても重要なんですね。前世の分析もしていますが、最初はよくわかんなかったなぁ。
娘のおかげなんです。心の相談が増えたときに、心のことをやろうって決意できたのは。
何か意味があることを、娘は教えてくれている。
実際、そうでした。
小さなこどもは、嘘をつかないと思います。
信じたいと心から思います。
この娘の話は、この何年か後に逢う陰陽師にも同じことを言われます。
驚きの連続です。
陰陽師との出会い
良いお客様に恵まれ、陰陽師に会ってほしいといわれ、最初えー、空を飛ぶ占い師?と思ったのですが、素敵なお客様がせっかく言ってくれたし、会ってみよー、嫌なら帰ってくればいいし。と思って気軽に会いに行きました。
そうすると、帝王学という古い学びらしく、占いのような統計学とは反対の分類学で、
的確に合う。合うから怖いから廃れていってるように感じました。
深く知っていくと寿命もわかるみたいだし。
詳しくいってないのに、「女性のための会社をする人です」「はい、しています」
「苦労と病気がセットの人。その代わり平等だから、素晴らしい能力が与えられてる。
あなたは良い商品、よいアドバイスを与えるので、あなたに合える人は幸運」
「あなたが病気を治し、病院で治らない同じ病気の人に与えるでしょう。
癌の人はもっと増える。来る人を受け入れ、心こめて接してあげなさい」
と言われました。下着もやるつもりなかったのに、癌や病気の人が来られるので、医者でもないのにどうしようと悩んでいました。でもアドバイスしたりいろいろセラピーでよくなる方も多く、どうしようと思っていたところでした。
背中を押されました。えーーーっつ 病気が苦難がプラスになるため?
私が与えることができるなんて!
ネガティブな病気や苦難は、よりよくなるため、与えるためだった、
自分に良いところがあるなんて驚きでした。中庸、真ん中がベストという考え方を俯瞰して見ることを教えてもらえました。
生きている意味あったんだ、わたし。とうれしくなりました。
そして、「父と縁が深い」と言われてまた驚きました。仲が悪かった父と。
えーどういうこと・・・・いまではよくわかります。
娘は、主人と縁が深く、前世で不慮の無念の死を遂げているといわれました。
ばっちりですね。娘の言うことと同じでした。
素晴らしい出会いを授けていただき感謝しています。
すべての出会いが必然であり、恵みでした
人生の目的は「自分と仲良くなる」こと
どのような選択をするか、そのような人と関わっていくかそれは人によって様々です。
だからいろいろな会社や人が存在するのです。
私は、さまざまな経験から、病気や不調や人間関係の不和、生きづらさが減り、自分を大切にして生きることが45歳を過ぎてやっとできるようになりました。
心のこと、それは自分自身の偏見もあり、また心の課題や問題への気づきから逃げていました。
でも、下着の会社ですが、多くの女性が心の不調、また体の不調から弊社を求めてこられるのです。
私は、今までに数千人の女性の身体を診てきました。
からだは心そして感情や精神を現しています。からだは心とつながっているのです。
からだから病気になることは少ないのです。
私が長年幼少から抱えてきたさまざまな問題― 機能不全家族、両親はいわゆる不適切な養育者でした。
病気、事故、学校で浮いている、なじめなかった、友達ができなかった、仕事がうまくいかない、いじめにあう、恋愛がうまくいかない、うつになった経験もあります。父は自死しています。とにかく生きていることが苦しい。
それは、私だけでありませんでした。親を責めたくない、でも不安でもやもやして自分を責め、他人を責め、よくなることはありませんでした。
あなたの現状は偶然もたらされたものではなく、人生に必要なテーマだから自ら招き寄せたものです。
それをクリアしない限り、たとえ現状から逃げたとしても、同じ課題が何度でも突きつけられます。
逃げることをやめ、自分と向き合うことで、壁は乗り越えることができました。
生きづらさを感じている、頑張っている、すべての女性に寄り添い、自分を取り戻してよりよく生きる手助けをするために、ゆっぴーは病や苦難がセットで生まれてきたのだと実感しています。
ゆっぴーが感動したのは、苦難や病気がマイナスではなく、同じ人と出会って、共感できて
分かち合うためにネガティブなことが多かったということ。
生きてる意味あったんだ、人に与えることができるなんて!
だれでも、魅力があり、素晴らしい才能と徳、そして罪と課題をもって生まれてきています。
自分と仲良く、両想いになることを応援し、導きのお手伝いをさせてもらっています。